芸術監督:串田和美ごあいさつ

私がこの「まつもと市民芸術館」の館長兼芸術監督の仕事を依頼されたのは2002年の暮れでした。それは私にとってまさしく突然の話でしたので、はたして私の力でお引き受けできるものなのか、あるいは自分自身の表現活動にどのような影響があるものなのか、とっさに判断することができませんでした。その後何度か松本市の方々と話し合い、最終的には翌年の3月になってやっと決心することができたのです。
その時私から、この新しい施設の姿勢、運営方針などの確認の意味も含めて条件や提案のようなものを提出させていただきました。その内容を要約しますと、この新しい施設が単なる貸館や、招聘公演をするためだけの劇場ではなく、あくまでも自らが、自らの作品を作り出し、松本だけでなく、全国、さらには世界へ発信していく創造型の劇場施設であるということ。それから芸術監督制度をとり、独自の個性的活動方針をもった劇場にする、というようなものでした。
私は、40年間俳優として、演出家としてあるいは舞台美術家として演劇を創り続けてきました。1966年には劇団創立と同時に、六本木の小さなビルの地下に「アンダーグラウンドシアター自由劇場」という小劇場を設立し運営してきました。さらに80年代後半から、東急文化村「シアターコクーン」の芸術監督として劇場全体の運営を考えてきました。思えば、私にとっての演劇活動とは舞台の上に作品を作ることだけではなく、それを取り巻く環境や社会との関係のとり方すべてにかかわることだったのです。ですから、この館長兼芸術監督という役割も、私にとっては本来の仕事から少し離れた厄介なものなどとは思えず、やはり表現活動の延長上の大切な意味をもつことになるだろうと考えました。
そしてかなりの覚悟を持って昨年4月に就任しました。しかしこれだけ大きな施設の幕を開けるには、1年前の就任というのはあまりにも遅すぎたように思います。この施設建設には多くの人々の期待と同時に、複雑な感情が絡んでいることを少しずつ知りました。けれどもそれは決して不幸なことではなく、むしろ多くの市民が積極的に関心をもっていることであり、本来はそのパワーが、市民芸術館を支えていく源になるはずです。
私は反対派といわれる人々と少しでも多く話をしたいと試みましたが、事態はかなり政治的になっていきました。私は芸術文化的運動が政治運動にからめ捕られてしまうことには危惧を感じます。芸術文化のありよう、もっと言えば「心の豊かさ」について政治的言語でのみ語られることの危うさを感じるからです。私はこの施設建設の推進派でも反対派でもありません。こういう芸術文化のための施設があるという前提のもとにやって来た人間です。私の役割は、既に出来上がったこの立派な施設をいかにより良く活用し、市民が楽しみ、その存在に誇りをもてるようにすることです。
そう、その存在に誇りをもつということとは何でしょう。
劇場芸術というものは、はたしてその客席に座った人々のためだけにあるのでしょうか。
かつて世界に大きな影響を与えたといわれた演劇を、実際に見届けた人はほんのひと握りの観客だったのです。けれどもその人たちの口から、想いから、伝説が生まれ世界へと広がり、歴史を変えることもあるのです。そんな劇場が、自分の住む町に存在することを、誇りに思う、自分たちが支えていることを自負する、それがその町の文化そのものでしょう。
松本市は文化都市であることを公言し、日本中の羨望と期待を集めています。この新しく生まれる市民芸術館に対する期待はみなさんが想像するより遥かに大きいのです。それは単に優れた機構を持つ建造物だからではありません。その存在が、本当の豊かさを見つけ出す糸口になる可能性を秘めているからではないでしょうか。
私たちは自分の身の回りを大切にすることも必要ですが、同時に、もっとグローバルな視点で世界を見据え、何をするべきかを考えなければならない時に来ていると思います。20万都市には経済的な荷が重過ぎるとお考えなら、みんなで知恵を出し合い、工夫をしてみましょう。きっと新しい展開が生まれるはずです。本当の良い結果が目に見えてくるのは、時間が必要です。時間をかけるということが、とても大切なことでしょう。しかし、すでに松本の評判は高まっています。私が全国で仕事をしていると、大勢の期待の声を耳にします。一般の方が「住みたい町ベストテン上位」などというのを聞くと、これまで松本の人々がさまざまな形で努力してきた結果なのだということに、改めて感心します。
さらに松本という町が、心の豊かさを求め、独自の文化を発信していくことで結果的に人々が集まってくるはずです。松本の文化というのは、過去の歴史的財産ばかりではありません。今ここに生きている市民と松本に憧れ集まってきた新しい人々が、これから作っていくものです。
まつもと市民芸術館 芸術監督
串田和美

串田和美(くしだ かずよし)
1942年、東京生まれ。
演出家、俳優、舞台美術家。日本大学芸術学部教授。
企画組織「KUSHIDA WORKING」主宰。
俳優座付属養成所、文学座を経て、66年、劇団自由劇場(後にオンシアター自由劇場と改称)結成に参画、96年同劇団解散。85年より96年まBunkamuraシアターコクーン芸術監督を務める。
ほかに北海道演劇財団とNPO法人「ふらの」らと演劇ワークショップを2001年からスタート。
主な演出・出演作品
- オンシアター自由劇場 『上海バンスキング』(第14回紀伊國屋演劇賞団体賞受賞)
『クスコ』 『もっと泣いてよフラッパー』など - コクーン歌舞伎 『東海道四谷怪談』 『三人吉三』 『夏祭浪花鑑』
- 平成中村座 『法界坊』
- 新国立劇場 『セツアンの善人』
- 日本大学芸術学部との共同企画 『夏の夜の夢』 『ユビュ王』
- STUDIOコクーン・プロジェクト 『ゴドーを待ちながら』
- 『スカパン』 『コーカサスの白墨の輪』など多数





