ヴィーンへのお誘い
おりしも、今年は松本市制施行百周年ということで「松本城を救ったウィーン万博・ウィーン展」もあることだし、芸術館でも市民参加の演劇「松本城物語」が秋に企画されていて、そのオーディションに百人もが応募したとのニュースも耳新しい。モーツアルト・ヴィーン・松本城のキーワードはいけそうだ。
ただ「ウィーン」か「ヴィーン」か、これが問題である。オーストリアのドイツ語は「ドイツ語の京都弁」ともいうべき強い、そして柔らかい訛りのドイツ語、現地発音の「ウィーン」が定着している。しかし私の場合、学生時代の恩師佐野光司(だったかなあ?)からの刷り込み効果と、実際に現地「ウィーン」でも「ヴィーン」という発音が主流のようだという耳体験から、やはり「ヴィーン」が好みだ。
私がはじめて憧れのヴィーンの街路を歩き、ザルツブルク音楽祭まで足を延ばしたのは、今や昔(?)の1978年のことだ。当時ヴィーン市内のあちこちは地下鉄工事の真っ最中で、もうもうとした茶色い工事現場の埃が強く印象に残っている。そして私の「オペラへの道」(ちょっと大げさかな?)もこの時から始まった。はじめて非常勤講師で出講していた愛知県立芸大では「オペラ史」の講義も持ったが、ビデオもDVDもなくLPレコードによるオペラの講義は今考えると、どこまでオペラのおもしろさを伝えることが出来たか、まったく自信がないが、少なくとも私はヴィーンの街並を想い出しながら、楽しそうな顔で話していたことであろう。
写真:ヴィーンのシンボル 聖シュテファン教会
ただ「ウィーン」か「ヴィーン」か、これが問題である。オーストリアのドイツ語は「ドイツ語の京都弁」ともいうべき強い、そして柔らかい訛りのドイツ語、現地発音の「ウィーン」が定着している。しかし私の場合、学生時代の恩師佐野光司(だったかなあ?)からの刷り込み効果と、実際に現地「ウィーン」でも「ヴィーン」という発音が主流のようだという耳体験から、やはり「ヴィーン」が好みだ。
私がはじめて憧れのヴィーンの街路を歩き、ザルツブルク音楽祭まで足を延ばしたのは、今や昔(?)の1978年のことだ。当時ヴィーン市内のあちこちは地下鉄工事の真っ最中で、もうもうとした茶色い工事現場の埃が強く印象に残っている。そして私の「オペラへの道」(ちょっと大げさかな?)もこの時から始まった。はじめて非常勤講師で出講していた愛知県立芸大では「オペラ史」の講義も持ったが、ビデオもDVDもなくLPレコードによるオペラの講義は今考えると、どこまでオペラのおもしろさを伝えることが出来たか、まったく自信がないが、少なくとも私はヴィーンの街並を想い出しながら、楽しそうな顔で話していたことであろう。
写真:ヴィーンのシンボル 聖シュテファン教会


