27歳の頃―ちひろと松本
27歳。絵本画家いわさきちひろが、画家を志して、終戦後の1946年に疎開先の松本からひとり東京に戻ったときの年齢です。
ちひろは、陸軍築城本部の技師である父、女学校の教師の母のもとで、三人姉妹の長女として東京で育ちました。戦争末期、東京・中野の自宅が空襲で焼けてしまった後、ちひろたちは母の実家がある松本市新橋に疎開していました。
そして、松本で迎えた終戦。
日本中で価値観が一変する中、ちひろはこれから自分がどう生きていくべきか、どう生きていきたいのか、自らの生き方を模索していました。
「戦いが終わった日、心のどこかがぬくぬく燃え、生きていく喜びがあふれだした。忘れていた幼い日の絵本の絵を思いだし、子どものころのように好きに絵を描きだした。」
(いわさきちひろ 1968年)
当時の27歳ならば、結婚して子育ての真っ最中、という年齢でしょう。
ちひろは、14歳で油絵を習いはじめましたが、もっと絵を学びたいという気持ちを親に一喝されてあきらめ、20歳の時には親の決めた相手との望まない結婚をします。満州(中国東北部)の大連で新婚生活を始めますが、ちひろは一切の結婚生活を拒絶し、その結婚は、夫の自殺という不幸な結末に終わりました。
ちひろはおそらくその時点で、当時の女性が普通に生きてゆく、人生のレールから降りたのではないでしょうか。だからこそ、戦争が終わり、女性も新しい生き方が選べる、という時代が訪れたとき、真っ先に「絵描きになりたい」という強い想いが胸によぎり、動いたのかもしれません。
ちひろは終戦直後、四柱神社の隣にあった松本市公会堂で日本共産党の講演会を聞いてから、新しい仲間たちとともに、松本市内を積極的に動いています。
現在のホテル花月、居酒屋しづかのあたりは、よく出入りしていたようです。
自分で描いた選挙ポスターを手に、上土や縄手のあたりをちひろも歩いていたのでしょう。幼い頃から大好きだった絵への情熱を再燃させ、27歳のちひろが画家への道を決意したのは、ここ松本でした。
★7月10日まで、安曇野ちひろ美術館では「開館10周年記念展Ⅱ ちひろのふるさと・信州」を開催しています。
写真:いわさきちひろ 自画像 1945年
C:CHIHIRO ART MUSEUM
日本中で価値観が一変する中、ちひろはこれから自分がどう生きていくべきか、どう生きていきたいのか、自らの生き方を模索していました。
「戦いが終わった日、心のどこかがぬくぬく燃え、生きていく喜びがあふれだした。忘れていた幼い日の絵本の絵を思いだし、子どものころのように好きに絵を描きだした。」
(いわさきちひろ 1968年)
当時の27歳ならば、結婚して子育ての真っ最中、という年齢でしょう。
ちひろは、14歳で油絵を習いはじめましたが、もっと絵を学びたいという気持ちを親に一喝されてあきらめ、20歳の時には親の決めた相手との望まない結婚をします。満州(中国東北部)の大連で新婚生活を始めますが、ちひろは一切の結婚生活を拒絶し、その結婚は、夫の自殺という不幸な結末に終わりました。
ちひろはおそらくその時点で、当時の女性が普通に生きてゆく、人生のレールから降りたのではないでしょうか。だからこそ、戦争が終わり、女性も新しい生き方が選べる、という時代が訪れたとき、真っ先に「絵描きになりたい」という強い想いが胸によぎり、動いたのかもしれません。
ちひろは終戦直後、四柱神社の隣にあった松本市公会堂で日本共産党の講演会を聞いてから、新しい仲間たちとともに、松本市内を積極的に動いています。
現在のホテル花月、居酒屋しづかのあたりは、よく出入りしていたようです。
自分で描いた選挙ポスターを手に、上土や縄手のあたりをちひろも歩いていたのでしょう。幼い頃から大好きだった絵への情熱を再燃させ、27歳のちひろが画家への道を決意したのは、ここ松本でした。
★7月10日まで、安曇野ちひろ美術館では「開館10周年記念展Ⅱ ちひろのふるさと・信州」を開催しています。
写真:いわさきちひろ 自画像 1945年
C:CHIHIRO ART MUSEUM


