セリフとことば
60歳になって初めて舞台に上る人には、他人の書いた言葉を自分の言葉として話すのは、とてつもなく難しい。最近は、芝居を創るというより言葉について考えているといったほうがいい。それに今回の『獅子』は65年前に書かれた本だ。内容もさることながら、[ことば]の重さがまるで違う。わたしたちが現在つかっている[ことば]はずいぶん軽くなっている。だから余計『獅子』のセリフはしゃべりにくい。
出演者のひとりにベテランの営業マンがいる。彼が会社に入ってまず注意されたのは、ことばに私的な感情を入れるな、という点だった。買ってもらうという最終目的に役立たないことばは要らないわけだし、相手の話を聞くにしても真情に向き合ってしまうのは却って障碍になるのだ。
そんな言語感覚が染みついてしまうと、例えば『獅子』のセリフのように、こころとからだに密着したことばを自分のことばとしてしゃべることができなくなる。役者の言語層がくずれているのだから、共鳴するはずがない。そうなると、勢いセリフの表面的な言い回しに囚われることになり、その結果せいぜい物語の筋だけしか伝えられない。今、演劇をするのは、ことばの深さ、重さ、不思議さを実感するためだといってよい。
そのテキストとして『獅子』は正に絶好の教材ではないか。
出演者のひとりにベテランの営業マンがいる。彼が会社に入ってまず注意されたのは、ことばに私的な感情を入れるな、という点だった。買ってもらうという最終目的に役立たないことばは要らないわけだし、相手の話を聞くにしても真情に向き合ってしまうのは却って障碍になるのだ。
そんな言語感覚が染みついてしまうと、例えば『獅子』のセリフのように、こころとからだに密着したことばを自分のことばとしてしゃべることができなくなる。役者の言語層がくずれているのだから、共鳴するはずがない。そうなると、勢いセリフの表面的な言い回しに囚われることになり、その結果せいぜい物語の筋だけしか伝えられない。今、演劇をするのは、ことばの深さ、重さ、不思議さを実感するためだといってよい。
そのテキストとして『獅子』は正に絶好の教材ではないか。


