モノの居場所
灰月のテーマの一つに「暮らしの道具」という言葉があります。もう少し付け加えて言うならば、「暮らしをより楽しむための小道具」という事でしょうか。
何か道具がなければ楽しめないのかと言われそうですが、もちろん小道具等なくとも日々の暮らしを心豊かにしてくれる出来事はたくさんあります。お天気の良い日はそれだけで気持ちが明るくなりますし、雨音も静かに耳を傾ければ心地良く響く日もあります。特にここ信州に暮らす私たちは、美しい自然が日々変化してゆくのを見ているだけで、充分豊かに暮らしているといえるでしょう。
しかしそれだけではなく、人の手が作り出す世界に触れる事で呼び起こされる感覚も、大切なのではないかと思うのです。
灰月には、様々な素材の日常の器がたくさんあります。なかには作家の指跡が残る器もあり、手仕事の過程を窺い知る事が出来ます。また、手織りの絹のショールに触れると、一枚の布になる迄の長い時間を思わざるをえません。どのような行程を辿って今ここに届けられたのか、丁寧な仕事を見れば、自ずと扱う手も優しくなります。
器の他に、灰月には彫刻作品や版画、絵画なども飾っています。それらは暮らしを楽しむためのもう一つの道具として、あったらいいな、と思うからです。洋服や靴を選ぶように、日々手にする器に目を向けてほしいと思うのと同時に、彫刻や絵画ももっと近しいものであってほしいと、私自身が思うからです。
たとえば手に触れるものは、肌触りやサイズ等、解りやすい感覚だと思いますが、音楽を聴く、本を読む、絵画を見るなどの行為は、とても個人的な感情を呼び起こすものだと思うのです。同じ音楽を聴いても、人によってその音楽とともに持っている背景が違えば、笑う人もいれば泣く人もいる。それと同じように一枚の絵画や彫刻作品を見て、思い起こされる感覚は人によって様々です。そして時に、その感覚はその人自身でも説明がしにくいものであったりもします。
さらにその人にとって、それがとても大切な感覚であったなら、それを手元に置きたいと思うのではないでしょうか。予期せぬ感情と共に出会えたものは、それが何であれとても大事にするのではないでしょうか。それは日々の暮らしの中で、いつでもその人をその瞬間に運んでくれる大切な「小道具」となってくれる事でしょう。
彫刻や絵画、あるいは小さな器でも、作り手の仕事の痕跡や感情に思いを馳せながら暮らす時間。そしてそれがやがては愛着となって、家という空間にもその人の心にも、なくてはならないものになってくる。さらに言えば、たとえ道端に落ちていたガラスの欠片一つでも、その人にとって大切な瞬間と結びついたモノであるならば、それは何よりも輝いて見える。
どんな小さなモノでも、きちんとその居場所がある。
そんな関係がいいなと思っているのです。
そんな風にモノと向き合って暮らしてゆけたらいいなと、いつも私自身願いながら、日々「小道具」を見つめ続けています。
しかしそれだけではなく、人の手が作り出す世界に触れる事で呼び起こされる感覚も、大切なのではないかと思うのです。
灰月には、様々な素材の日常の器がたくさんあります。なかには作家の指跡が残る器もあり、手仕事の過程を窺い知る事が出来ます。また、手織りの絹のショールに触れると、一枚の布になる迄の長い時間を思わざるをえません。どのような行程を辿って今ここに届けられたのか、丁寧な仕事を見れば、自ずと扱う手も優しくなります。
器の他に、灰月には彫刻作品や版画、絵画なども飾っています。それらは暮らしを楽しむためのもう一つの道具として、あったらいいな、と思うからです。洋服や靴を選ぶように、日々手にする器に目を向けてほしいと思うのと同時に、彫刻や絵画ももっと近しいものであってほしいと、私自身が思うからです。
たとえば手に触れるものは、肌触りやサイズ等、解りやすい感覚だと思いますが、音楽を聴く、本を読む、絵画を見るなどの行為は、とても個人的な感情を呼び起こすものだと思うのです。同じ音楽を聴いても、人によってその音楽とともに持っている背景が違えば、笑う人もいれば泣く人もいる。それと同じように一枚の絵画や彫刻作品を見て、思い起こされる感覚は人によって様々です。そして時に、その感覚はその人自身でも説明がしにくいものであったりもします。
さらにその人にとって、それがとても大切な感覚であったなら、それを手元に置きたいと思うのではないでしょうか。予期せぬ感情と共に出会えたものは、それが何であれとても大事にするのではないでしょうか。それは日々の暮らしの中で、いつでもその人をその瞬間に運んでくれる大切な「小道具」となってくれる事でしょう。
彫刻や絵画、あるいは小さな器でも、作り手の仕事の痕跡や感情に思いを馳せながら暮らす時間。そしてそれがやがては愛着となって、家という空間にもその人の心にも、なくてはならないものになってくる。さらに言えば、たとえ道端に落ちていたガラスの欠片一つでも、その人にとって大切な瞬間と結びついたモノであるならば、それは何よりも輝いて見える。
どんな小さなモノでも、きちんとその居場所がある。
そんな関係がいいなと思っているのです。
そんな風にモノと向き合って暮らしてゆけたらいいなと、いつも私自身願いながら、日々「小道具」を見つめ続けています。


